アイトワ

― 生きる ―

生きることに正解はない。
いのちの数だけ、生きる「理」と「道」がある。

ただ、それぞれが選び歩んできた“今”を積み重ね
ふと、振り返った時。

残してきた足跡を辿る中で
大切にしてきた「理」と「道」は自ずと見えてくる。

季節が移り変わるように、絶えず変化し続ける
「いのちの輪郭」

その動きと揺らぎを常に感じつつ
それを味わい、問い続け、探し続けること。

生きることに正解はない。
いのちの数だけ、
生きる「理」と「道」がある。

ただ、それぞれが選び歩んできた
“今”を積み重ね
ふと、振り返った時。

残してきた足跡を辿る中で
大切にしてきた「理」と「道」は
自ずと見えてくる。

季節が移り変わるように、
絶えず変化し続ける
「いのちの輪郭」

その動きと揺らぎを常に感じつつ
それを味わい、問い続け、探し続けること。

― 祈り ―

「手と手を合わせる」
今この時に集中し、“ゼロ”に還る。
目の前の行為、対象に100%意識を向けられる状態(集中)

「今こうして祈ることができる」
存在することの“有り難さ”を感じる。
当たり前の今が積み重ねられることに感謝が溢れる(感謝)

「いつまでも、この今が続いていきますように」
感謝はやがて、”願い”へと続いていく。
自身に止まらず、溢れた願いは“いのち”へ繋がる(願い)

人類が繋がりを忘れず、思い出し続ける為に欠かせないもの。

「手と手を合わせる」
今この時に集中し、“ゼロ”に還る。
目の前の行為、対象に
100%意識を向けられる状態(集中)

「今こうして祈ることができる」
存在することの“有り難さ”を感じる。
当たり前の今が積み重ねられることに
感謝が溢れる(感謝)

「いつまでも、この今が
続いていきますように」
感謝はやがて、”願い”へと続いていく。
自身に止まらず、溢れた願いは
“いのち”へ繋がる(願い)

人類が繋がりを忘れず、
思い出し続ける為に欠かせないもの。

― 愛 ―

音の響き、波、振動。
目を瞑って、感じたとき、思い浮かぶモノコト。

感謝、祈り、願い、光、優しさ、悲しみ、寂しさ、憎しみ、怒り

生きとし生けるすべてのものたち
家族、両親、恋人、友達、愛犬、愛猫

受容れること、受け止めること、差し出すこと、許すこと。

森羅万象。存在を存在としてただ現す
状態であり、エネルギー

音の響き、波、振動。
目を瞑って、感じたとき、
思い浮かぶモノコト。

感謝、祈り、願い、光、優しさ、
悲しみ、寂しさ、憎しみ、怒り

生きとし生けるすべてのものたち
家族、両親、恋人、友達、愛犬、愛猫

受容れること、受け止めること、
差し出すこと、許すこと。

森羅万象。存在を存在としてただ現す
状態であり、エネルギー

― 愛する ―

目の前の対象に対して、想いを馳せることで

存在の奥底に流れる“いのちの願い”に触れる。
その願いに沿って、それぞれがただ存在できるように働きかける。

コントロールすることもなく、見守るでもなく
ただ、見る。共に在る。

心地よく健やかに存在できるように
ただただ、今に存在し合う。

目の前の対象に対して、想いを馳せることで

存在の奥底に流れる
“いのちの願い”に触れる。
その願いに沿って、それぞれが
ただ存在できるように働きかける。

コントロールすることもなく、
見守るでもなく
ただ、見る。共に在る。

心地よく健やかに存在できるように
ただただ、今に存在し合う。

― いのちの流れ ―

地球上に存在する
生きとしいける全ての”いのち”

誰が何をしなくとも
完璧に調和された状態で存在している。

地球上には、1,000万種類以上の”いのち”が存在している。
ひとつひとつの”いのち”は、他の”いのち”と関係し合い生きている。

植物が光合成で養分をつくり、その植物を動物が食べる。
動物が死ぬと、微生物が分解し、その養分を植物が取り入れる。

生きとしいける全ての”いのち”がそれぞれの役割を担当しながら、
宇宙・地球全体としてデザインされた”いのち”を生きている。

そして、人類もその一部である。

地球上に存在する
生きとしいける全ての”いのち”

誰が何をしなくとも
完璧に調和された状態で存在している。

地球上には、1,000万種類以上の
“いのち”が存在している。
ひとつひとつの”いのち”は、
他の”いのち”と関係し合い生きている。

植物が光合成で養分をつくり、
その植物を動物が食べる。
動物が死ぬと、微生物が分解し、
その養分を植物が取り入れる。

生きとしいける全ての”いのち”が
それぞれの役割を担当しながら、
宇宙・地球全体としてデザインされた
“いのち”を生きている。

そして、人類もその一部である。

しかし

現代の人々は
自らの“欠乏”を埋める為、無尽蔵の欲を満たす為。

すでにデザインされているはずの”いのち”の流れに
沿わない生き方をしてしまっている。

それも全体として見れば
流れの一部だと解釈できるけれど。

全ての”いのち”が活かし合い存在している状態とは言えない。

現代の人々は
自らの“欠乏”を埋める為、
無尽蔵の欲を満たす為。

すでにデザインされているはずの
“いのち”の流れに
沿わない生き方をしてしまっている。

それも全体として見れば
流れの一部だと解釈できるけれど。

全ての”いのち”が活かし合い
存在している状態とは言えない。

だからこそ

全ての”いのち”が犠牲にならず
互いに「活かし合う」カタチを模索していきたい。

人類としての視点で考えるのならば。

「感じる」
“いのち”の尊さ/美しさに触れ、愛でることで想いを馳せ
自分事として、”いのち”が”いのち”として輝く術を探す。

「考える」
“いのち”と”いのち”の「間」を取り持ち
それぞれの”いのち”を活かし、調え、繋ぎ合う方法を探す。

全ての”いのち”が犠牲にならず
互いに「活かし合う」
カタチを模索していきたい。

人類としての視点で考えるのならば。

「感じる」
“いのち”の尊さ/美しさに触れ、
愛でることで想いを馳せ
自分事として、”いのち”が”いのち”として
輝く術を探す。

「考える」
“いのち”と”いのち”の「間」を取り持ち
それぞれの”いのち”を活かし、調え、
繋ぎ合う方法を探す。