アイトワ

知 る

自己探求

2022.04.15~05.15

意を決して、飛び出した「祈りと巡りの旅」を通して。
愛されているという実感を感じさせてくれる人や場が増えてきた。

これまで「愛されてない」「認められてない」
そんな風に感じてた”内”から新たな感覚が芽生え始める。

“たろうの世界も十分素晴らしい”

「愛されたい」という器が着実に満たされ続けたことで
誰かが用意してくれた世界ではなく
自らが創り出す世界を生きようと決心が改めて固まる。

旅を始めて、1ヶ月。
たろうは京都にいた。

桜の開花の時期から、散りゆく時分まで春の京都を満喫。

泰成とは少しずつ別行動が多くなり
彼について回るような旅の始まりとは、少し旅のスタイルが変わってきた。

京都でいつも滞在させて頂いていた、ことおみハウス。

2人のパートナーシップの在り方は、目にした誰もが幸せになるような素晴らしい関係で
突然泊まりに来た、たろうに対しても甥っ子のように接してくれた。

それが嬉しくて、ただそのままでいさせてくれる2人の“愛”が
ずっと、ポッカリと穴が空いたように感じていた
たろうの心を癒し、満たし続けてくれた。

ことおみハウスで過ごしながら、京都で暮らす人々と交流するようになる。

お坊さんところで、お経を一緒に読ませてもらったり
友人たちと京都御所でゆったり過ごしたり。

そして

たろうや泰成たちと同じように、各地をそれぞれのテーマを胸に
旅して巡りながら探求を深める同志とも出会うようになる。

各地で唐揚げを揚げながら、巡礼する人。
自らを“きのこ”と称して、巡礼する人。
お布施やギフトをテーマに、巡礼する人。
愛に生きることをテーマに、巡礼する人。

それぞれのタイミングと流れを大事にしているからこそ
共にいる時間は、ほとんどないのだけれど。

それでも、彼らのような同志がいるだけで
“一人じゃない”感覚をいつも感じていた。

京都で過ごした2週間。
たろうの愛の器が日に日に満たされていくのを感じた。

これまでは、自分には価値がない。愛されていない。という思い込みが強く
いつも誰かや何かの安心・安全の中で生きるようになっていた。

テニスの時も、受験の時も、旅に出た時も
いつも誰かと一緒に、いつも誰かについて動くようになっていた。

けれど、この京都滞在の期間を経て
周囲の状況や環境に囚われず、目の前の人や場に愛と感謝を持って
これまで培ってきた全てを全身全霊注いでいく中で。

「たろうの世界も、十分素晴らしい」
そんな風に思えるようになっていた。

「愛に生きる」その真ん中に流れる軸。
それをこの時確かに掴み取った気がする。

山梨県北杜市
春の京都での滞在を終えて。

旅から帰国後、その時に出会った仲間たちとは
連絡が取れない状況が続いていた。

しかし、自分自身に対して
少しずつ自信を持てるようになってきて

世界に対して開き始めたところで
仲間の1人に会いにいけるタイミングが来る。

久しぶりに共に時間を過ごし
旅で出会った時とはまた違った状況を感じ合う。

帰り道。
旅から帰ってきた3年間を思い返すと、涙が溢れてきた。

大切な人を大切に出来なかった過去。
過ちを繰り返し続け、苦しみ続けた自分が少しだけ癒されたことを感じた。

京都での素晴らしい日々を終えて
次に辿り着いたのは、香川県の直島。

これまた、京都同様
最初は泰成と共に赴くことになったのだけれど
彼が別の予定で直島を去り、1人取り残されることに。

それがキッカケで、直島の福田家の元にお世話になることになり
直ぐに意気投合。

2人の子供(地星と空海)たちと幸せに暮らす、美香さんと福さん。
4人の日常を共に過ごさせて頂く中で感じた2人の愛。

結局、1日だけお世話になるはずが
2人の懇意で4日間お世話になることに。

毎日たくさん話をしては
福さんの「人類に必要な仕事しかしない」という在り方や
美香さんの「子供達に対する深い愛」を感じて

また一つ、大切な家族ができた。

福田家との時間を終えてすぐ、再会の時が来た。

美香さんたちの仲間が直島でリトリートをすることになり
写真や映像撮影のお手伝い。

そこで、たろうはついに持っていた“全財産を手放す”ことになった。
それまでは、ゼロになる不安から1万円程度の現金は持っていたのだけれど

リトリート終了後、目の前に封筒を渡され
手元に残っていた3,300円を全て収めることにした。

手放す瞬間はとても怖くて不安だったけれど
何もなくても愛してくれる人が少しずつ増えてきた時だったから。
思い切って、手放してみることにした。

すると、心と身体がさらに軽くなるのを感じ
「愛に生きる生き方を貫く意志」が固まった

それは、どんな状況になっても目の前の人に、自らの愛をカタチとして体現し続ける。
そんな“覚悟”にも似たモノだったと思う。

リトリートを終えた後、周りのみんなに
「これからどうするのか」と心配された。

当たり前の反応だ。

「たろうは待つよ。自分の想いが届くその瞬間まで」
みんなにはそう言い張ったものの、内心はとても不安だった。

その時、ふとリトリート中に出会った
ステファンとゆうこから渡された名刺入れに意識がいく。

すると、その中には想いのこもった手紙とエネルギーが入っていた。
それを目にした瞬間、たろうも周りにいたみんなもその様子を見て涙した。

これまで、何の根拠もなく続けてきた「愛に生きる」旅。
それが、この時意図せずカタチとなって現れた。

「愛されていたのかもしれない」

福田家のキッチンで洗い物をしていた時に、ふと口から出てきた言葉。
これまでの不安や焦りのエネルギーが、愛と感謝に反転した。